ユベントスVSアーセナル
チャンピオンズリーグ 決勝トーナメント 第四戦
引き分け0-0。
始まる前に勝負はついていた。
それを象徴するシーンがある。終盤、左サイドにこぼれたボールを、走ればマイボールにできたシーンで、一番近くにいたIbrahimovicが棒立ちになっていた。ユベンティーノはブーイングを浴びせた。
Ibrahimovicは走らなかったのか?
走れなかったのだと思う。Ibrahimovicの炎の塊のような精神力でも、越えられない疲労がある、何とも悔しいが、それが起こってしまったことだ。走れなくなるほどの疲労を選手が蓄積してしまっていたこと、これがユベントスの敗因だ。
筆者はIbrahimovicを責めない。むしろこの試合で愛しさが増した。感傷からではない。彼がこの試合を糧に、より偉大なサッカー選手になってくれると確信しているからだ。リバプールのジェラードをもちだして気楽にIbrahimovicを責めないでほしい。彼は彼、IbrahimovicはIbrahimovicだ。何人のDFに囲まれようとも、唖然とする斬新なアイディアで、Trezeguetに絶妙なパスを送る、あのIbrahimovicを他の誰かととりかえようなどとは僕は思わない。
Nedvedのイエロー、1stレグのCamoranesi、Zebinaのイエローを「不必要なファール」といって眉をしかめる人にも一言いいたい。他の人は知らない、でも筆者は、あそこで強すぎるチャージをする人間だから、NedvedやCamoranesiやZebinaが好きなのだ。どんなときにも挫けない精神と、危険温度まで熱くなる心、これは表裏一体の関係だ。冷静な心と見事なプレーを両立するのを、唯一絶対の理想だというのは、一つの思いこみにすぎない。そういう人はフィジカルコンタクトの少ない野球か、バレーでも見てればいい。筆者は現実(スポーツの外の世界)とつながったスポーツを愛する。現実世界を動かすエネルギーの根幹は、危険温度まで熱くなる心だ。ないものねだりの理想とやらで、温度を冷やすのは止めてもらいたい。
Capelloには文句と賞賛がある。文句はIbrahimovicを十分に休ませなかったこと。賞賛は最後までIbrahimovicをピッチに立たせたこと。自分のミスをIbrahimovicと供にピッチの上で逃げずに受け止めているような風情があった。
Capello5、Buffon8、Zambrotta7、Chiellini6、Cannavaro6.5、Kovac6.5、Emerson7、Giannichedda7、Mutu5.5、Nedved6.5、Ibrahimovic5.5、Trezeguet5.5